第5回 悲報と後悔
こんばんは〜⭐️
今日はお昼に知った悲報とその後悔について少し書かせてください。
朝普通に起きて、
いつも通りに何もなく出勤。
お迎えが来て部下の車で大好きなBOSSのブラックを飲みくだらない話をしながら職場へ向かっていました。
到着してそのまま仕事に入り、
お昼までそんな感じでコツコツと作業。
お昼休憩に携帯を見ると何故か母親から電話。
とくに変わった用事はないはずだったので、
少し嫌な予感を察しながら掛け直すと、
「友人Kが自殺してしまった」と報告。
その場ではあまり状況判断が出来ず、
嘘と思ってしまいました。
親しい友人だったので尚更信じることができないまま。
毎年9月にあるお祭りで会えると思い、
頭の片隅に置いたままでした。
去年妻と結婚して子供ができて円満な自分。
その友人にも自分の子供を見て欲しかった。
いつも予想もしないことが世の中では当たり前のように起きる。
コロナもそうだけど誰もこんな拡散するとは思ってもいなかった。
志村けんがこのタイミングでコロナにかかって亡くなるとは誰も予想していない。
仲良かった友人がこのタイミングで亡くなることも全く予想していないこと。
明日何が起こるかわからない世の中で一生懸命生きて欲しかった。
人はいつか死ぬ。生きてる方がもちろん辛い。
その中の小さい幸せのために人は生きていると思う。
友人も命を捨ててしまう前に誰かに相談できたなら、少し状況は変わっていたかもしれないと思うと悔しい気持ちでいっぱいになります。
それが自分でも親でも友人でも誰でもいい。
人間は孤独には勝てないと思います。
誰かと常に支え合って生きていく生き物。
最近は特にニュースでも事故や殺害、育児放棄、わいせつ。そして自殺。
コロナが流行ってこのようなニュースも2倍。
日本人としてかなり恥ずかしく思います。
どれも自分と関係のない人まで巻き込んでいることと勝手すぎる行動から起きているもの。
なんででしょうか。
命っていつからそんなに軽いものになってしまったのでしょうか?
生きていれば何かしら良いことはある。
死んだら何もないんです。
亡くなってしまった友人と話せるなら、
思いっきり殴っていると思います。
理由はわかりません。
しかし周りが悲しむことは死ぬ前からわかること。
それまでして本当に命を投げる必要があったのか。
しかし今回を悲報を知って生きる難しさ、
命の重み、人間の弱さが身に染みてわかりました。
もしね、そのような気持ちになったら自分に連絡ください。
話せば絶対に少し変わります。
自分の夢は親を失った子の帰る場所を作る保護施設の経営です。
誰だって可能性は溢れています。
親がいたっていなくたって可能性は平等に与えられています。
その可能性を保護することが今の自分のやりたいことの一つです。
みなさんの中でまだやりたいことなど見つかっていない人などいましたら、
少し「人助け」ということに目を向けてみてください😊
お金とかではありませんが、
お金じゃ買えないものに気付きます😁
今一度「命」について考えてみてください。
少し長くなってしまいましたが、
ありがとうございました😭
おやすみなさい😴